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被災地ボランティアに行って・・現状と感じたこと!
短い期間でしたが、被災地ボランティアから無事に帰ってきました!
今回の目的は、ボランティア作業はもちろんのこと、子供たちから預かったメッセージを届けること、そして目で見て行動して肌で感じた事、現状を伝えること! 東京まで飛行機で、東京からレンタカーで宮城にむかいました。 岩沼市のボラ協さんと連絡をとってたこともあり、そちらへ向かいましたが、なんとGWという こともあり予想はしてましたがかなりのボランティアの人、人、人 こんなに多くのボランティアの方が自分の時間を使って集まってこられる、日本人は本当に素晴らしいと改めて感じました。 結局は、登録もできそうになく(ちょっと落ち込みながら・・) 限られた時間、並ぶ時間ももったいないので・・・ 子供たちから預かったメッセージを、なるべく多くの被災された方に届けたい、ということ で石巻市の避難所まで車を走らせました。 石巻市の蛇田中学校の体育館には、約800人の避難された方たち、悲しみやストレス、疲れ、なんとも言葉が出てきません! (大野木場小学校の子供たちからメッセージ) (深江幼稚園の子供たちからのメッセージ) 子供たちのメッセージ、必ず被災者の皆さまの勇気になるでしょう! それから、少し車を走らせ、 ここに本文を記入してください。 ここに本文を記入してください。ここに本文を記入してください。 画面を通しては見てましたが、現実を見ると・・自然の脅威に言葉を失います! 現場を見ると団体を通してのボランティアに参加はできませんでしたが、やることは沢山あることに気づかされます。 (結局、ボランティアの方が多く、作業場所まで運ぶバスの手配など受入側が対応できていない状態です。また受入は、民家など作業をお願いされた方と、ボランティアの方をマッチングして作業場所を手配されていますので、それ以外の所は、まだまだ瓦礫の山です。) ボランティアは自己完結型(食事から宿泊手配から、移動から) 私たちはレンタカーを借りてたし、移動もできます。 ≪支持を待つのではなく、自分たちでやることを見つけ行動を起こそう≫ ということになりました。 石巻を流れる河川の河川敷、永遠と瓦礫が続きます。 車に、冷蔵庫に、大黒柱まで、こんなものまで・・と思うようなものが、河川の上流まで運ばれてます。 自然の恐ろしさをあらためて感じます。 ここに本文を記入してください。 ここに本文を記入してください。ここに本文を記入してください。 瓦礫の撤去をしながら、なかでも一番つらいのは、思い出の品々! 沢山の写真や手紙などがあり、声をつまらせてしまいます! 瓦礫の撤去は、かなりの重労働です。またいたるところに釘などがあり、手袋、安全靴は必需です。怪我された方も何人もいらっしゃるみたいです。 ほこりもしますので、マスク、ゴーグルもあったほうがいいです。 海の近くの作業は長靴が必要だと感じました。 現在は、我々が思っているよりは、ぜんぜん復旧しています。お店も空いてますし、物も手に入ります。ガソリンスタンドもコンビニも、食事するところも空いていました。 なるべくなら、現地でお金を使ったほうがいいと思います。 ちなみに宿泊は仙台市内のカプセルホテルに泊りました。 仙台は、活気もあり、まったく普通と変わらない状態です。 現地の方も災害に負けずに、確実に、少しづづ復旧にむかっているように感じました。 最後に、今回一緒にボランティアに参加して頂いた、 佐世保青年会議所卒業の池田さん (明日、結納だそうです。 マジで!普通結納前に来ないですよね〜明日は結納、頑張ってください!) 深江町、荒木電器のまこと君(もうすぐ結婚するでしょう!) ほんと、ありがとうございました! 貴重な経験をさせて頂きました!感謝します。 また機会があったらボランティア行きましょう! |
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子どもたちのメッセージを持って
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連休を利用し被災地ボランティアへ
20年前雲仙普賢岳災害でお世話になったご恩、阪神大震災時のボランティアの自分の人生の中での貴重な経験、 ニュースがあるたび現地へボランティアへ…行くとなると、まとまった休みが取れるGWしかない! 家族へ想いを話したら、想いもかけず、それはぜひ頑張ってきて役に立ってきて下さい!想いもよらぬ返答だった! 正直、家族の想いが同じことに嬉しく感じた! 一人で行くのは不安なので、呼びかけたら、後輩の荒木くんや、青年会議所時代に同世代で頑張った佐世保の池田さん(現在東京在住)が賛同してくださった!忙しい中に、ほんと感謝です! 明日、早朝よりレンタカーを借りて宮城へむかいます。 なかなか、短い日数の作業で役には立たないでしょうが、 現実を肌で感じ、 出来ることを、出来る範囲で一所懸命頑張ってきたいと思います。 |
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ローカルマニフェスト型公開討論会
すっごく、久しぶりの更新です。
やっと仕事もひとだんらくしそうなので・・・・とか、言い訳をしつつ・・ 4月に南島原市長選挙が行われます。 候補者を今までのように、地縁血縁や、自分に向きがいい人に投票するというより、候補者が、もっとも南島原市のことに対し、いい政策を出していただき、それを市民の方に聞いていただいて、候補者を選んでいただく機会を作るために公開討論会を4月11日に開催します。 一人でも多くの方に選挙や政策に興味を持っていただければいいなぁと、思います。 現在、島原、南島原の深江から加津佐、20代〜40代の賛同してくれるメンバー40人強の実行委員会を作り、予算もないので、皆で協力金を出し合い、公開討論会に向け準備を進めています。 とても重要であるコーディネーターには、青年会議所で付き合いの大村の北村君に手伝って頂き、実行委員長に、本多君を選出し、進めています。 今のところ、皆の協力のおかげでとても順調に進んでいます。 もちろん、現段階で3名の候補者の皆さんもマニフェストをつくり、参加して頂くということで、ありがたいかぎりです。 どんな公開討論会になるか、今から楽しみです。 |
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朝6時より
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3年目『いのりの灯』
6月3日は普賢岳噴火災害で死者・行方不明者43名を出した大火砕流の日、
早いもので18年、私は、まだ大学生で大阪にいました。 大阪から、すごく心配したのを覚えています。 3年前から、この雲仙普賢岳大火砕流災害を、ろうそく作りなどを通し子ども達へ伝承していこうと始まった『いのりの灯』 私も1年目からお手伝いをさせてもらっていますが、 今年は嬉しいことに、私の郷土である深江小学校や大野木場小学校も、ろうそく作りに参加されていました。 昨日の『いのりの灯』当日は、多くの家族連れの皆様が参加され、子供たちが作ったロウソクに火を灯されていました。 最初は、記念館の方や、YEG、ロータアクトー、JCと、力を合わせ、ロウソクつくりから、試行錯誤しながらつくってきたイベントも年々、一般の方や、各小学校も協力をして頂き、ボランティアの皆様も増え、ほんと市民を巻き込んだいい感じのイベントになりつつあるな〜と感じました。 島原高校と島原商業のブラスバンド上手かった。 考えてみますと、 この子たちは雲仙普賢岳噴災害後に生まれた子ども達、 『雲仙普賢岳噴災害を知らない子供たち』なんですね〜 月日のたつのは早いものです。 |
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精霊流し
お盆にI川先輩に声をかけられ、K田家の精霊流しに担ぎ手として行ってきました。
19時半出発なのに、16時集合。すでに精霊船は完成してました。さすがに付合いが広いK田家、精霊船のあまりのに大きさにビックリです。あまりにも早い集合だったので、本番前の担ぐ練習です。 たくさんの担ぎ手がいるので、思ったよりもすんなりと・・ 記念撮影も・・・写される側に並んでいたので、しょうがなく、道路反対側で写しているカメラマンを撮ってみました。 精霊船を練り歩く前に、爆竹。爆竹が10万円分も用意されていた。 普通に鳴らしていたら、時間がいくらあっても足らないので・・・ あんまりでしょう・・・ 切子灯篭に火を灯し『ナマイドー』の掛け声と爆竹の炸裂音が響く中、三会の町を練り歩き、広場では、考えられないくらいのスピードでぐるぐる回ったりしながら、海まで練り歩き、精霊船を海へ送り出しました。 流れて行く姿はすごく幻想的です。 最後は皆で万歳をして、精霊船をお見送りしました。 (皆が気持ちよく海に向かって万歳賛唱している中、精霊船を海の中まで送り出し、おぼれかけてた人がいたとは・・・しらなかった!) どうりで、I田先輩、お疲れさん会に来られるのが遅かった。 無事に、精霊流しも終え、たくさんのお土産を頂きかえりました。 いい思い出にもなりました。 K田家、I川先輩有難うございました。 |
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『祈りの灯火』エコキャンドル作り
本日は6月3日雲仙普賢岳大火砕流の噴火災害を後世へ伝えるために、島原一小へ「キャンドル作り」へ出向きました。
語り部さんが、大火砕流当時のことを語られ、6月3日、大火砕流の日に災害記念館へ灯すキャンドル制作を行いました。 大火砕流は、平成3年6月3日、消防団、警察、マスコミ関係者ら43名の尊い命が犠牲になられています。 この子どもたちにとって噴火のことは・・遠い昔のこと・・ すこしでも、噴火災害の事がこの子たちに伝わればとの想いで・・・ 昨年作ったものを溶かして再利用するエコキャンドルを作製します。 皆、楽しそうに作っていました。 作ることに夢中になり、災害のことは、はたしてどこまで子どもたちに通じたか分からないですが、大きくなって、あの時、こんな目的で、キャンドルを作ったんだ、と気づくことでしょう。 6月3日、エコキャンドルが灯されるのが楽しみであります。 |
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人として・・
新聞やニュースで『中国・四川大地震』の凄まじさが伝えられる。
多くの子供たちが生き埋め・・・ そういえば・・ 阪神大震災の時、青年会議所のネットワークで、ボランティアに行ったことを思い出す。ビルや家の倒壊、道路の陥没、廃墟化した町並み、そして落胆した市民の姿を見てショックだった。 活動は毎日、自転車をこぎながら簡易トイレの掃除をしていく・・・私は島原青年会議所に入ったばかりの時で、普賢岳災害の恩を感じ、仕事そっちのけで、何もわからず先輩達について行った。 全国の地域から集まっていた青年会議所のボランティアのネットワークに感動したことを覚えている。 そして、その時の先輩達との活動は『私の誇り』になっている。 自然災害に対するボランティア・・・国籍、人種、宗教、価値観など、なにも関係ないと思う。 人として、地球の仲間が困っている時に、自分が出来る事は何だろうか? ・・・・つい、JCの先輩でもあり、ボランティア協議会会長の尊敬するM先輩に連絡をとっていた・・・ |